SaaS 契約とライセンス契約のレビュー
レッスン4:SaaS 契約とライセンス契約のレビュー
このレッスンで学ぶこと
- SaaS 契約の SLA・稼働率保証・データ返還・データ削除義務を条項レベルで扱える
- サブプロセッサー条項と GDPR /個情法対応の契約書チェック視点を持てる
- ライセンス契約の独占/非独占・地域制限・改良発明帰属を条項別に扱える
- ライセンス料算定 3 パターン(一括/ランニング/ハイブリッド)を扱える
- SLA 3 レベル設計と侵害通知条項の実務標準を持ち帰れる
前レッスンでは取引基本契約と業務委託契約のレビューを扱いました。本レッスンでは、6 大類型の第 4 号として、SaaS 契約とライセンス契約を条項レベルで深掘りします。姉妹コース情シス関連の入門コースが「買い手 PM 視点で SaaS プロジェクトを回す」実務を扱うのに対し、本コースは「法務担当者が契約書に赤入れする視点で SaaS 契約条項をどう修正するか」を扱います。
SaaS 契約とは
SaaS 契約(Software as a Service Agreement)は、クラウド上でソフトウェアを利用させるサービス提供契約です。買い手(利用者)と売り手(SaaS ベンダー)の 2 当事者間で締結され、月額または年額の利用料と引き換えにサービス利用権が付与されます。契約書の実務名称は「SaaS 利用契約」「クラウドサービス利用契約」「利用規約」などがあり、大企業向けには個別交渉可能な MSA(Master Service Agreement)+ Order Form の形式、SMB 向けには利用規約への同意による定型契約の形式が一般的です。
SaaS 契約の 3 特徴
- 役務の継続提供:買い手はサービスを継続的に利用し、月額または年額で料金を支払う
- 買い手のデータが売り手側に格納:顧客データが SaaS ベンダーのクラウド環境に保存される
- 契約終了時のデータ返還・削除が論点になる:ベンダーロックインとデータ主権の観点
SLA と稼働率保証
SaaS 契約の中核条項の 1 つが SLA(Service Level Agreement、サービス水準合意)です。SLA は、サービス稼働率・応答時間・障害復旧時間などの品質基準と、達成できなかった場合の補償を定めます。
SLA の 3 レベル設計
- 保証レベル:稼働率 99.9%・99.95%・99.99% のいずれか(月間許容ダウンタイム 43 分/21 分/4 分)
- 測定レベル:稼働率の測定方法(暦月・営業日・24 時間・特定時間帯)
- 補償レベル:SLA 未達時の補償(月額料金の 10%・25%・50% 相当額のクレジット)
エンタープライズ向け SaaS では 99.9%(月 43 分ダウンタイム許容)が実務標準です。ミッションクリティカルな用途では 99.95% 以上を要求し、金融・医療・製造ラインでは 99.99% を求めることもあります。
稼働率の測定除外時間
SLA には、稼働率の測定から除外される時間が定められることが多く、レビュー時には次の 5 項目を確認します。
- 事前予告のあるメンテナンス時間(実務標準:月 4 時間以内)
- 緊急メンテナンス時間(30 分以内)
- 買い手側の設備障害
- 天災・戦争・法令変更などの不可抗力
- インターネット回線の障害(買い手・売り手いずれの責任でもない部分)
除外時間が広く設定されていると、実質的な稼働率保証が空洞化します。「事前予告のあるメンテナンス時間は月 4 時間以内」といった上限設定を修正提案するのが実務標準です。
💡 ポイント SLA は「達成不能な高い数値」を目指すのではなく、「実現可能な数値+達成できなかった時の補償」の組み合わせで設計します。稼働率 100% は物理的に不可能であり、99.9% を守るための冗長構成と障害対応体制を担保するのが実務標準です。
データ返還とデータ削除義務
SaaS 契約終了時に、買い手のデータをどう処理するかを定める条項です。姉妹コース情シス関連の入門コースでも触れられていますが、本コースでは法務側の条項レベルで深掘りします。
データ返還の 3 項目
- 返還形式:CSV/JSON/XML など、買い手が後継システムで読み込める形式
- 返還期限:契約終了後何日以内に返還するか(実務標準:30 日以内)
- 返還時の費用負担:買い手負担・売り手負担・双方協議
データ削除義務の 3 パターン
- 一定期間経過後の自動削除:契約終了後 60 日・90 日・180 日で自動削除(実務で最も多い)
- 買い手からの削除要求時に削除:買い手の指示に応じて削除
- 削除完了証明書の発行:削除完了後に売り手が削除完了証明書を発行
削除完了証明書は、GDPR・個情法・企業内部監査で証跡として利用されるため、大企業向け SaaS 契約では必須項目となりつつあります。
⚠️ 注意 「データを永久保存する」という条項が売り手側の雛形に紛れ込んでいるケースがあります。GDPR ・改正個情法の観点から、目的達成後のデータ削除は義務であり、「永久保存」は違法となるリスクがあります。契約書レビュー時には必ず削除条項の有無と削除期限を確認します。
サブプロセッサー条項と GDPR /個情法対応
SaaS ベンダーが顧客データの処理を第三者(サブプロセッサー、例えば AWS ・ Google Cloud ・ Datadog など)に委託する場合、サブプロセッサー条項で規律します。
サブプロセッサー条項——4 項目
- サブプロセッサーの開示:ベンダーが使用するサブプロセッサーのリストを公開・通知
- サブプロセッサーの追加・変更の事前通知:追加・変更時に買い手へ事前通知(実務標準:30 日前)
- サブプロセッサーの契約義務:サブプロセッサーもベンダーと同等の秘密保持・データ保護義務を負う
- サブプロセッサー起因の責任:サブプロセッサーの行為による損害についてベンダーが責任を負う
GDPR /改正個情法の観点
GDPR(EU 一般データ保護規則、2018/5 施行)の適用を受ける企業では、SaaS 契約に SCCs(Standard Contractual Clauses、標準契約条項)または DPA(Data Processing Agreement、データ処理契約)の締結が必須です。日本の改正個情法(2022/4 全面施行)でも、越境データ移転時の同意取得・委託先の監督義務が定められており、SaaS 契約書に個情法対応条項が必要となります。
契約書レビューでの GDPR /改正個情法チェック項目:
- SaaS ベンダーが個人データを処理する場合、委託先監督義務の履行方法(監査権・報告義務)
- 越境データ移転が発生する場合、SCCs または同等の措置
- 個人データ漏洩発生時の通知期限(GDPR は 72 時間以内、個情法は「速やかに」)
- データ主体の権利行使(開示請求・削除請求)への対応義務
ライセンス契約とは
ライセンス契約(License Agreement)は、知的財産権(特許・著作権・商標・ノウハウなど)の実施権・利用権を許諾する契約です。技術ライセンス(特許・ノウハウ)、著作物ライセンス(ソフトウェア・出版物)、商標ライセンス(ブランド使用)など多様です。
独占ライセンスと非独占ライセンス
- 独占ライセンス(Exclusive License):ライセンサー(許諾者)は他者に同一範囲でライセンスできない。ライセンサー自身も同一範囲で実施できない
- 準独占ライセンス(Sole License):ライセンサーは他者にライセンスできないが、ライセンサー自身は同一範囲で実施可能
- 非独占ライセンス(Non-Exclusive License):ライセンサーは他者にも同一範囲でライセンス可能。実務で最も多い
契約書上「独占」と書かれていても、実際は準独占の意図であることがあり、独占の範囲(対象製品・地域・期間)を必ず確認します。
地域制限
ライセンスの許諾範囲を地理的に限定する条項です。実務では次のパターンがあります。
- 世界全域(Worldwide)
- 特定国のみ(例:日本国内、米国のみ)
- 特定地域(例:APAC 地域、EU 域内)
グローバル展開を予定する場合は「世界全域」が有利ですが、ライセンス料が高額になるため、初期は「日本国内のみ」で契約し、事業拡大に合わせて地域拡張の再交渉権を確保する条項設計も実務的です。
改良発明の帰属
ライセンサーの技術を利用してライセンシー(被許諾者)が改良発明を生み出した場合、その改良発明の権利がどちらに帰属するかを定める条項です。実務では次の 3 パターンがあります。
改良発明帰属の 3 パターン
- ライセンサー帰属:改良発明の権利はすべてライセンサーに帰属(ライセンシー不利、実務で稀)
- ライセンシー帰属+ライセンサーへの実施権付与:改良発明はライセンシーの権利、ライセンサーは実施権を得る(実務標準)
- 共有:改良発明を共有(実務では紛争リスクが高い)
改良発明の定義(「元発明の改良」の範囲)を明確にし、ライセンサーが将来的にライセンシーの技術を無償で使えるような広い定義にならないよう修正提案します。
ライセンス料算定——3 パターン
ライセンス料の算定方法は、契約類型と業界慣行により標準が異なります。
3 大パターン
- 一括払い(Lump Sum、上前金):契約時に固定額を一括で支払う。金額計算がシンプルで、キャッシュフロー予測が容易
- ランニングロイヤルティ:ライセンス実施による売上・生産数量に応じて継続的に支払う。実施量に比例するため公平だが、報告義務・監査権が必要
- ハイブリッド型(一時金+ランニング):契約時に一時金を支払い、その後の実施量に応じてランニングロイヤルティを支払う(実務で最も多い)
ランニングロイヤルティを採用する場合、次の 4 条項が必要になります。
- ロイヤルティ率(売上高の 3-10% が実務標準、業界により異なる)
- 報告書提出義務(四半期または半期ごと)
- 監査権(ロイヤルティ計算の正確性を検証する権利)
- 最低ロイヤルティ(Minimum Royalty、ライセンシーが実施しなくても最低額を支払う保証)
侵害通知条項
ライセンス契約では、第三者による侵害が発生した場合の対応を定める侵害通知条項が重要です。
侵害通知条項の 4 項目
- 通知義務:ライセンシーが第三者による侵害を知った場合、ライセンサーに通知する義務
- 訴訟主導権:侵害訴訟の主導権をライセンサー・ライセンシーのどちらが持つか
- 費用負担:侵害訴訟の費用負担(ライセンサー・ライセンシー・按分)
- 賠償金の帰属:侵害訴訟で得た賠償金の帰属
独占ライセンシーは、自らも訴訟提起権を持つ設計とすることで、迅速な侵害対応が可能になります。非独占ライセンシーは通常、ライセンサーに主導権を委ねる設計が多数派です。
📖 もっと詳しく 侵害訴訟対応の実務そのもの(内容証明の作成・訴状の受領・和解交渉)については、法務担当者向け入門コースで扱います。本コースは契約書レビュー時の条項設計に集中します。
次のステップ
本レッスンでは SaaS 契約とライセンス契約のレビューを扱いました。次のレッスンでは、6 大類型の第 5 号として、M&A 契約書の入口として、DD 前 NDA、LOI、SPA の主要条項レビューを深掘りします。
確認クイズ
このレッスンで学んだ内容を確認しましょう。