自己理解の三角形——Will / Can / Must
レッスン2:自己理解の三角形——Will / Can / Must
このレッスンで学ぶこと
- Will(やりたい)・Can(できる)・Must(求められる)の 3 つの円を区別できる
- 3 円の重なりが「キャリアの核」になる仕組みを理解する
- 3 つを言語化するための具体的な問いを持つ
- 重ならないときに起きる 3 つのパターンを把握する
- 日本企業の歴史的な「Must 偏重」の背景と、そこから自分を取り戻す発想を学ぶ
前回のレッスンでは、キャリアデザインを「反復的な設計」として位置づけ、3 つの理論系譜を概観しました。今回は、自己理解の最も基本的な枠組みである「Will / Can / Must」の三角形に入ります。すべてのキャリア発達理論が、結局はこの 3 つのどこかに焦点を当てている、と言ってもよいほど中心的な枠組みです。3 つを言語化する練習を、本レッスンで丁寧にしていきます。
Will / Can / Must とは
Will / Can / Must は、自己理解の枠組みとして人材開発の現場で広く使われている 3 円モデルです。明確な単独の提唱者がいるというより、20 世紀後半のキャリアカウンセリング・人材開発の現場で定着したフレームワークで、日本では特に企業の人事・キャリアコンサルタントの間で標準的な道具になっています。
3 つの円はそれぞれ次の意味を持ちます。
| 記号 | 内容 | 問いの形 |
|---|---|---|
| Will | やりたいこと・大事にしたいこと | 「自分は何を望んでいるか」 |
| Can | できること・得意なこと | 「自分には何ができるか」 |
| Must | 求められていること・期待されていること | 「自分には何が求められているか」 |
flowchart LR
W[Will<br/>やりたい] --- C[Can<br/>できる]
C --- M[Must<br/>求められる]
W --- M
3 つの円が重なる中心部分が、「キャリアの核」と呼ばれる場所です。やりたいことが、できることでもあり、求められていることでもある領域——ここに自分のエネルギーを注ぎ込めると、仕事の充実度は格段に上がるとされています。
💡 ポイント Will / Can / Must は、完璧に重なることを目指す枠組みではなく、「今の自分はどの 2 つが重なっていて、何が欠けているか」を見るための地図です。3 つが完全に重なる「天職」を探そうとすると、現実から離れていきます。重なりが小さい現実を起点に、どこを伸ばすか・どこをずらすかを考えるのが、運用上のコツです。
それぞれの円を言語化する
3 つの円を頭の中だけでイメージしても、なかなか動きません。言葉にする練習が大切です。それぞれに、自分に問うてみる質問の例を挙げます。
Will(やりたい)の言語化
- ここ 1 年で、時間を忘れて取り組めたことは?
- 自分でお金を払ってでもやりたいことは?
- 子どものころに夢中になっていたことの、現代版は?
- 「あの人みたいになりたい」と感じる人と、その人の何にあこがれているか?
- 引退まであと 1 年なら、何をするか?
Can(できる)の言語化
- 周囲の人から「○○がうまいね」と言われたことは?
- 同じ仕事をしても、人より早く・うまくできることは?
- 過去 3 年で、自分が何かを「乗り越えた」と感じる場面は?
- 履歴書には書かない、見落としがちな「身についた癖・習慣」は?
- 自分にとっては当たり前だが、周囲には珍しいスキルは?
Must(求められる)の言語化
- いまの職場で、自分に期待されている役割は何か?
- 上司・同僚・取引先から、どんな依頼が舞い込みやすいか?
- 家族・地域・コミュニティから、どんな役割を担っているか?
- 社会全体から見て、自分の年代・立場で求められやすいことは?
- 5 年後・10 年後の労働市場で、価値を持ちそうな能力は?
📝 補足 言語化のコツは、抽象的な単語(「マネジメント」「コミュニケーション」など)で止めず、具体的な場面や行動まで降ろすことです。「マネジメントが Can」ではなく「7 人チームの 1on1 を毎週続けて、3 年で離職ゼロを実現した」のように、エピソードで描けると、後の選択に活かせます。
重ならないときの 3 つのパターン
3 つの円が完璧に重なる人は、ほとんどいません。むしろ、「どこかが欠けている」のが普通の状態です。よく見られる 3 つのパターンを整理します。
パターン①:Will と Can はあるが、Must がない
「やりたいし、できる。でも、それを求める場がない」状態です。趣味やボランティアならよいのですが、仕事として成立しない(誰も対価を払ってくれない)場合、職業としては難しくなります。
対応の方向:
- Must(市場)の側を広げる——副業・複業・転職で求める場を探す
- 自分でその「市場」を作る——独立・起業の選択肢
- 趣味として持ち続け、仕事は別軸で立てる
パターン②:Can と Must はあるが、Will がない
「できるし、求められている。でも、やりたい気持ちが湧かない」状態です。日本企業のミドル世代に最も多いパターンと言われています。短期的には安定しますが、長期的には燃え尽きやキャリアの停滞につながります。
対応の方向:
- Will(やりたい)を言語化し直す——本レッスンの問いに戻る
- Will そのものを行動で発見する——Krumboltz の Planned Happenstance(レッスン 6)
- 仕事の Must の中に Will を見出す——Wrzesniewski のジョブ・クラフティング(レッスン 6)
パターン③:Will と Must はあるが、Can がない
「やりたいし、求められている。でも、いまの自分にはできない」状態です。若手・新人や、新しい領域に挑戦するときによく見られます。
対応の方向:
- Can(できる)を伸ばす——スキルの再構築(リスキリングの領域)
- 一部だけ Can で参入し、伴走者を得る——メンタリング・チーム編成
- 段階的に Can を広げる——小さな成功体験の積み重ね
⚠️ 注意 自己理解のパターン分析は、「自分はパターン②だ」とラベルを貼って終わるためではありません。「いま欠けているのはどこか」「どう動くと重なりが広がるか」を考えるための地図として使います。ラベル貼りで満足してしまうと、行動が止まってしまいます。
日本企業の歴史的な「Must 偏重」
日本企業のキャリア文化を考えるとき、見過ごせないのが「Must 偏重」の歴史です。
戦後から 1990 年代まで、日本の大企業の主流は終身雇用と年功序列でした。社員は「会社が求めるもの(Must)」を受け取り、配属に従い、転勤に応じ、ジョブローテーションを経験する——という働き方が標準でした。「自分のやりたいこと(Will)」を主張するのは、しばしば「組織人としての成熟が足りない」と評価されてしまいました。
この歴史の延長で、現在でも次のような声がよく聞かれます。
- 「やりたいことを聞かれても、答えられない」
- 「会社の言う通りに動いてきただけ」
- 「自分のキャリアを自分で考える、という発想がなかった」
これは個人の問題というより、構造的な背景がある現象です。「Will を語れない自分」を責めるのではなく、「Will を語る必要のない環境で長く働いてきた」事実を踏まえた上で、これからの再設計をすればよい——という発想を、本コースは取ります。
💡 ポイント Will が湧かない、と感じる方は、いきなり「大きな Will」を探さないでください。「ここ 1 か月で、ちょっとうれしかった瞬間」「いつもより 5 分長くやっていた仕事」など、小さな違和感や小さな満足を集めるところから始めるのが、現場で機能する Will 発見の方法です。
メタ認知の罠
最後に、自己理解を扱うときに必ず触れておきたいのが「メタ認知の罠」です。
メタ認知(metacognition)とは、「自分が何を考え、何を感じているかを、もう一段高い視点から認知すること」です。Will / Can / Must を言語化する作業は、メタ認知そのものです。
ただし、メタ認知には限界があります。
- 自分のことは、必ずしも自分が一番よくわかっているわけではない
- 「自分はこういう人間だ」というラベルが、行動を狭めることがある
- 自分のことを考えすぎると、行動が止まる
- 過去の経験から推定した「自分像」が、未来の自分を縛る
これらの罠を避ける発想として、本コースは次の 3 つを提案します。
- 自己理解の言葉は、いつでも書き換える前提で持つ——「これが私の Will だ」と固定しない
- 行動と内省を往復する——内省だけ、行動だけ、にしない
- 他者の声を取り入れる——上司・同僚・家族・友人・キャリアコンサルタントなど、外側の視点を借りる
📝 補足 自己理解は「完成しない」ことを前提に進めるのが、現代キャリア論の主流です。Donald Super も Edgar Schein も Krumboltz も、形は違えど「自己理解は生涯にわたって更新される」という立場を取ります。本コースもこの立場で、「今の時点での仮の言葉」を更新していく姿勢を勧めます。
講師の現場メモ:「Will が湧かない」と泣いた管理職
私(神田)が独立後にキャリアコンサルティングをしていた、ある中堅 IT 企業の課長(仮に I さんとします)の話です。I さんは 45 歳で、長く同じ会社で経理畑を歩んできたベテランでした。
セッションで「これからやりたいことは?」と聞いた瞬間、I さんは黙ってしまい、しばらく後に涙ぐみました。「やりたいこと、と聞かれても、何も浮かばないんです。私は何のためにここまで働いてきたんでしょうか」と。
私はその場で、「Will を急いで埋めようとしないでください」と伝えました。「Will / Can / Must の枠組みは、3 つが揃わないと失敗、という枠ではありません。揃わないのが普通で、揃わないところから始めればよいんです」と。
数回のセッションで、I さんと一緒に小さな問いを重ねていきました。「ここ 1 か月で、ちょっとだけ楽しかった瞬間は?」「経理の仕事の中で、人より時間をかけても苦にならない部分は?」「家族や趣味の場で、自然に動いている時間は?」。
3 か月後、I さんがぽつりと言ったのが、「うちの部の若手の悩みを聞いている時間、しんどいんだけど不思議とエネルギーを取り戻すんです」という言葉でした。これが、I さんにとっての「小さな Will」でした。経理スキル(Can)と組織の中でのポジション(Must)に、若手育成への関心(Will)が重なる場所が、おぼろげに見えてきたのです。
それから 1 年後、I さんは社内のキャリアアドバイザー制度に手を挙げ、経理部の課長を続けながら、若手の相談役として年 30 件の面談を担当するようになりました。「やりたいことが見つかった」とまでは言いませんが、「いまの仕事に、納得できる重なりができた」と話していました。
このときに改めて思ったのが、Will は「探し当てる」ものではなく、「行動の中から立ち上がる」ものだということです。本コースを学ぶ皆さんも、Will が湧かないことに焦らないでいただきたいと思います。
まとめ
このレッスンでは、以下のことを学びました。
- Will(やりたい)・Can(できる)・Must(求められる)の 3 円が、自己理解の最も基本的な枠組み
- 3 つを言語化するときは、抽象的な単語で止めず、具体的な場面とエピソードまで降ろす
- 3 つが完璧に重なる「天職」は珍しく、欠けている部分があるのが普通の状態
- 重ならないパターン 3 種類:Must がない/Will がない/Can がない——それぞれに対応の方向がある
- 日本企業の歴史的な Must 偏重は構造的背景があり、「Will を語れない自分」を責めなくてよい
- 自己理解にはメタ認知の罠があり、「いつでも書き換える」「行動と往復する」「他者の声を取り入れる」が解毒剤
次のレッスンでは、Will の核に近い「価値観」を扱う古典的な枠組みとして、Edgar Schein のキャリアアンカーを学びます。「自分が捨てられない価値観は何か」を 8 つの類型から考える、強力な道具です。
確認クイズ
このレッスンの理解度をチェックしましょう。